禅林の庭を歩く【洛中三】
大徳寺から金閣寺、石庭の龍安寺を廻る。禅寺の深遠なる空気を感じる名刹探訪
| 写 真 | 概 要 | |||||
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| 北野天満宮 本殿 左の写真は東背面から見た「本殿」である。「本殿」の左側奥に見えているのは「拝殿」の屋根で、「本殿」と「拝殿」は「石の間」で繋がっている。 社殿の屋根は変化に富んだ構成になっており、「八棟造」とよばれているようで、桃山建築の代表とされている。 |
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平野神社
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| 大徳寺 三門(重要文化財 応仁の乱後、一休禅師の参徒連歌師宗長等が一階部分を寄進、のち千利休居士により二階部分が設けられ金毛閣と名づけられた。 山門とは、龍宝山の門、三門とは、三解脱門(空門・無相門・無作門)のこと。一端、山門をくぐり境内に入る者は、金毛の獅子となって下化衆生せんことを |
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国宝方丈 額 方丈建築とは,従来神仏などを飾るための建物(寝殿造り)を,禅寺で生活に便利なよう |
大仙院 |
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| 龍源院 龍源院の見所は方丈を中心に東西南北に設けられた庭園といえる。 |
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| 高桐院 高桐院は細川幽斎公の長子忠興三斎公により慶長六年(1601)に建立された大徳寺塔頭の一つで大徳寺本坊西に位置する。開祖玉甫紹琮和尚は幽斎の弟である。 |
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孤篷庵
1612年(慶長17)小堀遠州(遠江守政一)が大徳寺龍光院内に建立。1643年(寛永20)現在地に移設後、1793年(寛政5)焼失。遠州の崇拝者、松江城主の松平不昧公により再建。 再建:方丈は1797年(寛政9)、書院・忘筌は1800年(寛政12)。
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| 今宮神社 今宮神社は、本社には大己貴命(おおなむちのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、疫神社には素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀っていて紫野神社とも言います。 正暦5年(994)平安京で疫病が流行り、これを鎮めるため御霊会がおこなわれ、船岡山に創建された疫病鎮護の神社が起こりと伝えられ、疫神を鎮める神社として信仰を集めました。 その後、今の地に移り今宮神社となりました。社殿の多くは明治時代の再建ですが、古式の風格を感じさせます。 |
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鹿苑寺(金閣寺) |
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| 等持院 等持院は、暦応4年(1341)、足利尊氏(あしかがたかうじ)が衣笠山の山頂にあった仁和寺の子院を譲り受け、この地に移築して等持寺の別院として中興、改宗し天龍寺の夢窓国師(むそうこくし)を開山としたのが始まり。その後、尊氏が没したときこの寺で葬儀を行い、等持院とし天龍寺末寺となった。以後、足利将軍家の菩提所となった。 見どころ 等持院1 等持院2 等持院3 等持院4 等持院5 |
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| 龍安寺 左の石組略図にあるように、15個の石は方丈から見て、左からそれぞれ5個、2個、3個、2個、3個の石でできた五つの組になって置かれているが、方丈からこれら15個の石の全てを見通すことのできる場所はない。 |
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