2009年1月27日火曜日

禅林の庭を歩く【洛中三】

禅林の庭を歩く【洛中三】

大徳寺から金閣寺、石庭の龍安寺を廻る。禅寺の深遠なる空気を感じる名刹探訪

写       真 概                要
北野天満宮

本殿

 左の写真は東背面から見た「本殿」である。「本殿」の左側奥に見えているのは「拝殿」の屋根で、「本殿」と「拝殿」は「石の間」で繋がっている。

 社殿の屋根は変化に富んだ構成になっており、「八棟造」とよばれているようで、桃山建築の代表とされている。

平野神社

本殿


 祭神の項にも記述したとおり、「本殿」は四棟からなっている。

 左の写真は四棟の「本殿」を「拝殿」横から見たものであり、直下の写真は四棟の「本殿」の内の一棟を近くから撮影したものである。

大徳寺

三門(重要文化財


応仁の乱後、一休禅師の参徒連歌師宗長等が一階部分を寄進、のち千利休居士により二階部分が設けられ金毛閣と名づけられた。
 山門とは、龍宝山の門、三門とは、三解脱門(空門・無相門・無作門)のこと。一端、山門をくぐり境内に入る者は、金毛の獅子となって下化衆生せんことを

国宝方丈 額

方丈建築とは,従来神仏などを飾るための建物(寝殿造り)を,禅寺で生活に便利なよう
工夫・改造したもので,現代住居の先駆けだそうです
大仙院方丈は室町時代のもので
わが国最古の方丈建築

大仙院

大徳寺北派本庵大仙院 1509(永正6)年開山
室町時代の代表的(教科書級?)枯山水庭園および方丈建築

春,大徳寺を訪れたとき,な~ぜかこの大仙院拝観しなかったため再訪
春は大仙院拝観で もれなく?
国宝唐門(聚楽第遺構と伝えられる)拝観がついてましたが
今回は無・・・しまった~?!

龍源院

龍源院の見所は方丈を中心に東西南北に設けられた庭園といえる。
高桐院

高桐院は細川幽斎公の長子忠興三斎公により慶長六年(1601)に建立された大徳寺塔頭の一つで大徳寺本坊西に位置する。開祖玉甫紹琮和尚は幽斎の弟である。
孤篷庵

[No.1]アプローチ : [No.2]忘筌の間 : [No.3]方丈庭園
[No.4]直入軒 : [No.5]山雲床

1612年(慶長17)小堀遠州(遠江守政一)が大徳寺龍光院内に建立。1643年(寛永20)現在地に移設後、1793年(寛政5)焼失。遠州の崇拝者、松江城主の松平不昧公により再建。
再建:方丈は1797年(寛政9)、書院・忘筌は1800年(寛政12)。
見所:
書院風茶室の忘筌(重文)。アプローチ。井戸茶碗。杜若(5月中旬)。
今宮神社

 今宮神社は、本社には大己貴命(おおなむちのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、疫神社には素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀っていて紫野神社とも言います。
 正暦5年(994)平安京で疫病が流行り、これを鎮めるため御霊会がおこなわれ、船岡山に創建された疫病鎮護の神社が起こりと伝えられ、疫神を鎮める神社として信仰を集めました。
 その後、今の地に移り今宮神社となりました。社殿の多くは明治時代の再建ですが、古式の風格を感じさせます。

鹿苑寺(金閣寺)

金閣(舎利殿)


 「金閣」(左の写真)にはお釈迦様の骨が祀られているといわれ、舎利殿とも呼ばれている。

 金閣の二層と三層には金箔が貼ってあり屋根の上には金張りの鳳凰が置かれている。一層は寝殿造り、二層は武家造り、三層は禅宗仏殿造りで、
それぞれの様式がよく調和しており、これが華やかさを醸し出しているようである。

 以前の国宝に指定されていた金閣は昭和25年(1950年)に若い寺僧の放火により全焼、5年後に再建された。更に、昭和62年(1987年)には金箔を厚いものに張り替える修復工事がなされている。再建された金閣は国宝に指定されていない。

等持院

等持院は、暦応
4(1341)、足利尊氏(あしかがたかうじ)が衣笠山の山頂にあった仁和寺の子院を譲り受け、この地に移築して等持寺の別院として中興、改宗し天龍寺の夢窓国師(むそうこくし)を開山としたのが始まり。その後、尊氏が没したときこの寺で葬儀を行い、等持院とし天龍寺末寺となった。以後、足利将軍家の菩提所となった。
 
見どころ

等持院1
  等持院2  等持院3  等持院4 等持院5 
龍安寺




左の石組略図にあるように、15個の石は方丈から見て、左からそれぞれ5個、2個、3個、2個、3個の石でできた五つの組になって置かれているが、方丈からこれら15個の石の全てを見通すことのできる場所はない。


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