雅と侘の世界[洛中二]
雅な御所の世界、にぎわう町中のこぢんまりとした寺寺を巡り、茶庭の侘を味わう。
| 写 真 | 概 要 | ||||||||||||||||||||||||
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京都御所 毎年春と秋になると特別に一般公開される京都御所。 |
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| 仙同御所 17世紀の初め、後水尾天皇が上皇となられた際に造営されました。 殿は1854年に焼失したのを最後に再建されませんでしたが、庭園・茶室などが残っています
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廬山寺 |
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| 本能寺 本能寺は、織田信長が上洛時の宿所として使っていた寺である。そしてこの寺で信長は家来の 明智光秀により自害に追いやられたのである。 天正10年(1582)5月29日、信長は少数の護衛のみを伴い、いつものとおり宿所としていた 本能寺へ入った。一方、光秀は信長の命令を受け、秀吉の援軍のために近江坂本城から 丹波亀山城(亀岡市)へ入った。そこから西へ向かうはずの光秀は、踵(きびす)を返して 京都へ向かい桂川を渡ったところで「敵は本能寺にあり・・」と本能寺へ向かう。これが、 広く知られた「本能寺の変」で、この変により堂宇は焼失した。 |
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▲本堂 |
▲本堂の奥(東側)の信長公廟 |
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| 矢田寺 京都の繁華街といえば京極である。最近は京都駅も賑やかになってきているが、 やは極というか河原町通を中心に御池通から四条通にかけて、私は一番注目され て良い場でと思う。ただ単に商店があるというだけでなく、これほどわくわくする 「知のトポス」は他に\い。寺町三条を少し上がったところに、矢田寺がある。 |
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| 誓願寺 誓願寺は今から約千三百年の昔、天智天皇の勅願により奈良に恵陰が開創したと 伝えられており、後に、平安遷都に際し伏見深草に移されたといわれている。 寺は10回も火災に遭っているといわれ、また、移転は再々行われているようで、 現在の地に落ち着いたのは天正13年(1585年)という。 本堂内正面には本尊の「阿弥陀如来」が祀られている(左の写真)。かなり大きな 坐像である。聖観世音菩薩像もこの本堂に安置されているというが、直接の拝観は できなかった。 |
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| 頂法寺(六角堂) 現存の「本堂」は明治9年(1876年)に再建されたものといわれており、左の写真に 見られるように 本堂正面の内には観音菩薩と書かれた大きな赤い提灯が吊り下げられている。 本堂に祀られている本尊、「如意輪観世音菩薩」は聖徳太子が開山したときに 持っていた護持仏 といわれているようで、秘仏になっている。しかしながらこの仏像は文化財の 指定がなされていないようで、 聖徳太子の護持仏というのは、おそらく伝説なのであろう。 本堂には本尊の脇仏として「地蔵菩薩像」、「毘沙門天立像」それに 「親鸞坐像」が安置されている。 毘沙門天立像は重要文化財に指定されている。 |
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| 宝鏡寺 開山し後光厳天皇より宝鏡寺の号を賜っております。 その後多くの皇女が歴代となり、百々御所(どどのごしょ)という御所号も賜りました。 人形の寺とも呼ばれ、毎年春と秋に一般公開もしております 境内には、めずらしい椿や伊勢なでしこなどの花が四季折々に咲いています。 |
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| 表千家 〒602-0072 京都市上京区寺之内通堀川東入百々町536 電話 075-432-2195(事務局代表) 午前9時─午後5時(日曜祝祭日をのぞく) 表千家についての詳細は をご覧ください。 |
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相国寺 |
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