2009年2月24日火曜日

東山を仰ぐ【洛東一】

東山を仰ぐ【洛東一】

大伽藍がそびえる東福寺。養源院、智積院を経て、建仁寺ので東山の麓をあるく。

写         真 見                  所

東福寺

建造物絵画彫刻/工芸品書蹟・典籍
古文書/歴史資料・考古資料/史跡名勝天然記念物

三門 (写真は三門楼上須弥壇の釈迦像および諸仏)
芬陀院
中大門から入り東進すると、日下門の手前に芬陀院がある。東福寺の塔頭の一つで、通称の雪舟寺(せっしゅうじ)で知られている。本尊は阿弥陀如来。芬陀院は、鎌倉後期の元亨(げんこう)年間(1321~24)に関白一条経通(いちじょうつねみち)が父の菩提を弔うために定山祖禅(じょうざんそぜん)和尚を請し創建。以後、一条家の菩提所とされた。その後、火災により堂宇を焼失したが元禄4年(1691)、関白一条兼輝(いちじょうかねてる)により再興された。
方丈南庭全景 茶室

新熊野神社ホームページ
当社は熊野信仰の盛んな平安時代末期、永暦元年(
1160年)、後白河上皇によって創建された神社です。後白河天皇(77)1155年に即位され1158年に退位されましたが、退位後も引き続き院政を敷かれ、そのときのお住まいとなったのが現在三十三間堂の東側にある「法住寺」です。当時は「法住寺殿」といわれ、その鎮守社として創建されたのが新熊野神社、鎮守寺として創建されたのが三十三間堂です。その造営には法皇の命を受けて平清盛が当たりました。

御寺 泉涌寺|公式サイト
東山三十六峯の一嶺、月輪山の麓にたたずむ泉涌寺。皇室の菩提所として、また諸宗兼学の道場として、壮麗な堂宇が甍を連ね、幽閑脱俗の仙境、清浄無垢の法城となっている。

楊貴妃観音堂
 大門を入って左手奥の堂内、六羅漢像の中央に安置される聖観音像(重文)で湛海律師が建長7年(1255)羅漢像などとともに将来された像である。
 像容の美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造顕された像との伝承を生み、楊貴妃観音と呼ばれて来た。

蓮華王院 三十三間堂
▲ 三十三間堂  ▲仏  像  ▲創建と歴史
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は京都市東山区にある仏堂。建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、本尊は千手観音である。

養源院 (ようげんいん) 
養源院は、文禄3年(1594)に秀吉の側室淀殿が父浅井長政の菩提を弔うため、21回忌に秀吉に願い建立、寺名を長政の院号である養源院とされた。開山は比叡の天台僧であった成伯法印(長政の従弟)とした


参拝のご案内
諸堂案内
長谷川等伯(国宝障壁画)
名勝庭園

真言宗智山派 総本山智積院
総本山智積院は、真言宗智山派三千ヵ寺の総菩提所・総祈願所で、京都東山(JR京都駅よりバスで約10分)に位置します。
その智積院には、数々の伽藍と多くの貴重な文化遺産があります。特に長谷川等伯(1539-1610)とその弟子達によって描かれた「楓図」「松に立葵図」


や等伯の長男・久蔵の作とされる「桜図」は、

桃山時代を代表する障壁画であるとともに、日本が世界に誇り得る第一級の絵画です。

 また、大書院東側の名勝庭園は、桃山時代に造られた庭園で、中国の廬山を形どって作られた利休好みの庭として有名です。

六波羅蜜寺

六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。


地蔵菩薩立像地蔵菩薩坐像

空也上人像平清盛坐像 運慶坐像 湛慶坐像

方丈(重要文化財)

建仁寺
日本最古の禅宗本山寺院―建仁寺
 臨済宗建仁寺派の大本山。開山は栄西禅師。開基は源頼家。鎌倉時代の建仁2年(1202)の開創で、寺名は当時の年号から名づけられています。山号は東山(とうざん)。諸堂は中国の百丈山を模して建立されました。創建当時は天台・密教・禅の三宗兼学でしたが、第十一世蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場となりました。800年の時を経て、今も禅の道場として広く人々の心のよりどころとなっています。



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